今の私は何を見ているか
先週、目に髪の毛(orまつ毛)が入って調子が良くなかったので眼科に行った。
診てもらったところ毛はもう残っておらず、眼球にキズが付いてしまっていたので目薬を処方された。
1週間後にまた来てくださいとのことで、自覚症状は既になかったが、今日行ってきた。
問題なく治っていて一安心。すっきりした。
その道すがらふと考えたことである。
「幸せとはなんだろうか」
実はこの問題に対して私は既に答えを出していたので、ブログに書こうと思い立った。
"今の私" が考えてることを "将来の私" へ残すために。
幸せとはどういうことなのか、あなた自身にとっての明確な答えはあるだろうか。
私の答えは、
「成長」。
どういうことか。
その前にひとつ大切なことを注意しておくと、この文章全体を通して、絶対的な未来を考えるのではなく、あくまで可能性や期待値として考える話である。
さてあなたは、ただ知らなかっただけで損をしたり惨めな気持ちになったこと、もっと早くに知っておきたかったと思ったことやそういう人を見たことはないだろうか。
私は基本的に「知っている」は "正義" だと思っている。
「知っている」は「知らない」より良い結果を生み出せるということである。
それはつまり物事はたくさん知っているほうが良いということになる。
もちろん「正しい知識として」という但し書きが付く。
しかしこれは当然といえば当然である。
ここで「正しい知識とは」という問題があるが、今回の本筋からは逸れるため考えないこととする。
そして上述した内容は
「知っていることが多いほどより良い結果を実現できる」
とまとめることができる。
そしてそれは、
「"将来の自分" が "現在の自分" よりもいろんなことを知っている」ならば「"将来の自分" が "現在の自分" よりも良い結果を実現できる」
ということに他ならない。
ここで新たな視点を加える。
「将来への希望を抱くことでポジティブになり幸せを感じられる」
ということ。
そうは思はない人もいるのかもしれないが、私はそう思う(としか言いようがない)。
また「将来どれくらい良い結果を実現できるか」は、下図のように、今までどのように成長してきたか、今どのように成長しているかによって、将来への展望は変わってくると考える。
つまり、これまで知識をつけてきてより良い結果を実現してきたとすれば、現在もそれを継続していることで、将来は今より良い結果が実現するという希望を抱けるのである。
これが「幸せ」であると私は考える。
言い換えれば、継続的に知識をつけていくことで、これまでの己の成長の結果を振り返りつつ、"いま" 努力することで "将来" がより良いものになると確信しながら前に進んでいく、この「プロセスの実現」こそが幸せなのだ。
だから私は、面倒だなあという気持ちと頑張りたいという気持ちのはざまで折り合いをつけながらも勉強して知識をつけ、見聞を広げて成長することで、将来のより良い結果につなげていきたい。
人は通常、現在(とそれに近い時間軸)でしか物事を認識できないため、意識的に過去・現在・未来の因果関係に目を向けて自己の拡張を行なうことが大切である。
"今の私" が見ているものが "将来の私" の幸せにまでつながることを信じて。
そして "将来の私" はこの主張をどう思うのだろうか。